上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

yaretakamo24_2_011.jpg

ビックコミックスピリッツで連載されていた漫画「闇金ウシジマくん」が完結した。
連載期間15年。連載開始は2004年のことらしい。
ウシジマくんの漫画とは不思議な縁がある。
連載が始まった当時、僕は大阪でバイトをしながら漫画を描いていた。僕の友人も漫画家を目指していて、バイト終わりに互いの家に行って、ああでもないこうでもないと議論しあったり、漫画を見せ合ったりしていた。僕は24歳で友人は23歳。お互いに若かった。
当時僕はスピリッツがすごく好きで毎週買って読んでいた。ウシジマくんが始まった時ももちろんチェックして、「なんて暗い漫画だ」と思った。
OLがお金に困って闇金に手を出し、どんどんと生活が行き詰まって行って、ドラックにまで手を出して、最終的には宗教の教祖になるというオチだったと思う。
正直「これ何が面白いんだろう」と思っていた。
僕は自分の両親が貧乏で街金に手を出したりしていたので、余計にそう思ったのかも知れない。
「笑えねーよ」と思った。
ほどなくして友人は漫画賞を受賞して上京することになった。
僕は絵が下手だったので、将来はどうしよう。と暗い日々を送っていた。

友人が上京した後も頻繁にメールや電話で連絡を取っていて、ある日、友人から「アシスタント先が決まった」という連絡が来た。
その頃僕は漫画界に何にも接点がない生活を送っていたので、「すごいね!おめでとう。」と言った。
「何の先生のところでアシスタントするの?」と僕は聞いた。
「吉田君が嫌いって言った漫画だよ」と彼は答えた。
ウシジマくんだった。

yaretakamo24_2_004.jpg

友人がアシスタントをしているということでウシジマくんを見る目が変わった。
「すごくいい漫画な気がする」と僕は思った。若い頃の漫画の見方なんてそんなもんだ。
それまで僕が読んできた漫画の主人公は何か苦難を抱えた状態から始まり、努力をしたり才能を磨いたりして、最終的には成功するというストーリーだったし、自分が漫画家になるためにもそういう漫画を描こうとしていた。
でもウシジマくんは違った。登場人物は基本堕落しているか追い詰められている。欲望に素直で、向上心がなく、常に裏をかこうとしている。そして最終的には病院送りにされたり、普通に死んだりする。
全然ハッピーじゃない。
しかし繰り返し読むうちに「そういうことなんだ」「そういう面白さなんだ」と思えてきて、毎週読むようになった。
友人の上京から3年経った頃、僕の漫画も賞に入ることができ、一か八か上京することにした。26歳になっていた。
友人の四畳半の風呂なしアパートにパソコンと服を詰め込んだダンボールを送りつけて、転がり込んだ。なかなか無茶で迷惑なことをするものである。
編集部に通ってネームを持ち込むとほどなくして、スピリッツの増刊号でデビューが決まった。
編集者が「アシスタントをする気はあるのか?」と聞いてきたので、「僕でも雇ってもらえるところがあるならやりたいです」と答えた。
その編集者は僕の履歴書と漫画と僕が描いたひどい背景の絵を色々な漫画家の先生の事務所に回してくれた。
アシスタント先はなかなか決まらなかった。そりゃそうだよなと思いながら、新しく借りた西東京のアパートから日雇いのバイトに通っていた。
ビルの建設現場で一日中ガラを運び出す日々。

ある日バイトから帰り、発泡酒を開けて、その友人と電話しているとこんなことを言われた。
「そういえば吉田くんの履歴書を真鍋さんが見ていたよ」と。
ウシジマくんの事務所もアシスタントを募集していたらしい。
「え?何か言ってた?」
「『これって君の友達なの』って聞かれたから『はい』って返事したら、『だったらやめとこうかな』って言ってた」
そりゃそうだよなと思った。
その後、同じ時期にアシスタントを募集していた佐藤秀峰さんが僕を雇ってくれた。
10年前のあの時、僕がウシジマくんのアシスタントになっていたら今どうなっていただろうか…ということをたまに考える。

yaretakamo24_2.jpg

その後、僕はすっかりウシジマくんのファンになった。
例えばドロップキックのシーンで、当たった瞬間を真鍋先生は描かない。
ドラゴンボールだとかめはめ波が当たったシーンは必ず描かれる。
いつしかそこを描かない演出方法に惚れ惚れして読んでいた。
一体何がそんなにかっこいいんだろう。
何を描いて、何を描かないか。というのは「何を言って、何を言わないか」ということなのかもしれない。
それはそのまま美学であり、矜持であり、そこには作家の世界に対する姿勢のようなものとつながっているような気がする。
いや、そんなに難しい話ではなく。
僕はそこに「大人」を感じていたのだと思う。
20代と30代の15年間で僕は上京して、肉体労働して、デビューして、結婚して、子供が生まれて、家を買って、2回打ち切られててバイトしたりした。
自分の体験した「東京の暮らし」とウシジマくんの漫画はすごくシンクロしていた。

変なおじさんにならないために、ドロップキックが当たる瞬間を描かないということが大事な気がする。


スポンサーサイト
18冬のピッツェリア編

めちゃコミの連載が終わった。
全30回。週刊だから半年はやっていたことになる。
週に1Pでもネタに困るのは嫌だったので、10回やったら1ヶ月休ませてもらっていた。
ところがそれでもネタに困ってしまうという情けない始末で、編集者さんにはネタ出しも手伝っていただいてとても助かった。
編集者から女の子に言われたいシチュエーションとして「ご飯を食べてる時にじっと見つめられて「食べてる顔かわいいね」と言われる」などの悶絶エピソードを多数いただいたのはとても素敵な思い出である。
しかし久々に締め切りのある仕事をしてものすごく疲れた。ネタがないときは1週間ウンウン悩まなければならない。
週に1つ何かを仕上げるというのは本当にすごいことであると改めて思った。

さらにびっくりすることに僕はこの編集者には一度も顔を合わすことなく連載が始まり、そして終わった。
これも時代なのかもしれない。
僕にとってはそれがとてもありがたかった。対面で会わなくても、自分の主張を言語化してしっかり伝えて、感謝と「悪いことをしたときは謝る」ということをちゃんとしていたら、信頼関係はしっかり築けるものである。



title_kawaii-suguru.jpg


めちゃコミで発表したマンガは自分で電子書籍化できるように交渉したので、今年中に発売しようと計画している「短編集スイートメモリー2」に収録する予定です。
こういう交渉ごとも対面よりメールの方がやりやすいし、後々トラブルにならなくてよい。


出版不況のあおりを受けて、漫画家に提示する条件が悪くなっているというツイートをよく見るので、僕の交渉の仕方を少し書いてみることとする。
どんな条件を提示されようと、自分が納得する条件でなければ受けなければいいだけの話だと思う。

①執筆依頼のメールが来る。
②原稿料、納期、原稿料の支払日、どういう漫画を希望しているか、カラーかモノクロか、写植はこちらで打つのか、単行本化の予定はあるかなどを聞く。
掲載先の媒体がよくわからない場合は大体どのくらいのPV数があるサイトかなどを聞いておく。
③条件をすべて聞いて、自分にできそうかどうか考えて、やるかやらないか決める。
僕の場合は電子書籍を自分でやりたいので、その旨を伝えて、難色を示された場合は電子の権利をもらう代わりに原稿料を下げてもらったりという交渉をする。
④メールでまとめた条件で契約書を交わしてほしいと告げる。
契約書が交わせない場合はメールを保存しておく。
⑤契約書のドラフトが来たら本当に条件通りの内容になっているか行政書士さんに見てもらう。(もちろんお金がかかる)
条件通りになっていなければドラフトを書き直してもらう。
⑥契約書を製本してもらい送ってもらって締結。連載を始める。

これくらいのステップを踏んでいるので、執筆依頼が来てから本当に仕事を始めるまでに話がなくなってしまうのがほとんどである。
めちゃコミさんは辛抱強く交渉の相談に乗っていただいたので感謝の限りである。

一度あるキュレーションサイトから4コマ漫画を描いてほしいという依頼をいただいて、「どんな漫画がいいでしょうか、原稿料はいくらですか?」と伺ったらnoteとかpixvに漫画を公開している人のリンクが4つか5つ送られてきて、「こういうのを描いてください」と言われた。
「原稿料はなるべく希望に添いたいので希望額を言ってほしい」とあった。
多分同じようなメールをいろんなところに送ってるっぽかったし、原稿料もなんで聞いてるのに聞き返すんだ?と思ったので、「原稿料は1本10万円(税別)もらえるとすごく嬉しいです。」と答えた。決して嘘ではない。実際にもらえるとすごく嬉しい。
その後、返信は来なかった。
おれが悪いのだろうか…

条件交渉の時に参考になりましたら幸いです。


yaretakamo18_008.jpg

今読切のネームを描いている。
某雑誌からご依頼をいただき、なかなかうまく描けない日々が続いていたんだけどようやく42P描けた。面白いと思うけどどうでしょうか。
運が良ければ掲載されますが、掲載されない場合も描いて短編集に載せようと思う。

ネームをしている時も1分に1回ぐらいツイッターを見てしまう。
見たところでなんの変化もないのに気づけばスマホを開いてしまう。
去年こんなのでは仕事にならないと、スタッフにお金を払ってツイッターアカウントを預けたことがある。
ツイートしたいときはラインで送るわけだ。人の手まで借りてなんと迷惑なことだろうか。
3ヶ月ぐらいそうやってツイッターから離れてみたわけだけど、それでもブラウザから自分のツイートへの反応を逐一チェックしてしまう。
もうだめみたいだ。
でもタイムラインを追っていないだけでこんなにも人と話が通じないのか、というのは勉強になった。
ツイッターをやらないだけで、みんなが知っている情報に全然ついていけない。
ということは飲み会でもツイッターの話をしているわけだから僕の周りにいる人間もかなりの依存症という可能性が高い。
今はアカウントを戻してもらって自分でやっている。また見るペースは全盛期の勢いを取り戻してしまった。
現役バリバリ脂が乗りまくっている。今は引退など考えられない。

ハマるならとことんハマってしまえばいいと思っていると最近はツイッターをチェックしながらでもネームができるようになった。
進化成功である。
ブログを再開したこともそれにつながっていて、ツイッターと言わず、ブログも書くことがなくなるまで書いてしまえばいい、と思うようなった。
毒を食らわば皿まで。
靴が濡れたら膝まで。
膝まで来たら腰まで。
少なくともブログを書いているうちはツイッターをしなくて済む。

さらに今年からツイッターの使い方も変えた。
今までは気に入ったものとか面白いものがあっても特に反応しなかったのだが、最近はたまに反応するようにしている。
なぜ今まで反応しなかったのかというと、いろいろあるけど一番大きいのは「恥ずかしい」ということだ。
自分が何を好きか、何を好きなやつだと思われたいのか、そういうアピールをしていると思うと恥ずかしくてたまらなかったのだ。
マンガなんかにRTすると自分が好きな気持ちが作者に届いてしまう。そんなこと恥ずかしくてとてもできなかった。
これはSNSネイティブではない1980年以前に生まれた者の典型かもしれない。
RTするかどうかで気づいたら1時間ぐらい悩んだりしたこともあった。
そんな不毛な時間は僕の人生には残されていない。
というわけで変えるに至った。
追い詰められないと何もできない。

変えてよかったのか今の所どうかわからない。
そんなに変わらない気もする。
できる限り素直になっていく。
それが変なおじさんにならないために重要である気がする。


yaretakamo12_015.jpg

R-1グランプリに出た芸人のキートンさんという方が審査員の審査に不満があったらしい。
去年のM-1でもとろサーモンの久保田さんとスーパーマラドーナの武智さんで似たようなことがあって大騒ぎした気がする。
漫画界でも同じようなことを時折見かける。
「自分の実力はもっとあるはずだ」という演者(作者)自身からの主張。
これはSNS時代になってより顕著になってきたのではないだろうか。
SNSをやってると自分をフォローしてくれてる人は大概肯定的な意見をくれる。
それは世界のほんの片隅の価値観なのに、それで「おれは人気者だ」と思ってしまった人が世に出たときに、フォロワーの外の基準の審査に腹を立てるのではないだろうか。

上記のようなことをふと思ったのだが、本題はこれについてではなく、僕はこのように大して知りもしないくせに、世の中に対して自分の意見を主張したくなってしまうということである。
さも「自分が正しいでしょ」という知った風な顔で。
こういう時に安易にツイートするのは危険だ。
とにかく落ち着くことだ。
何か自分の中の満たされないドロドロした不満を世の中にぶちまけようとしている可能性がある。
「お前は何様なのか」きっちりそして謙虚に自問自答すべきだ。
わかりもしない他人のことを話題にするより自分自身のことを語るべきではないだろうか。
そうだ他人のことではなく、自分のことを語ろう。

僕は「このマンガがすごい」(宝島社)などのランキングが大嫌いである。
去年か一昨年だったか。「このマンガがすごい」に拙作「やれたかも委員会」が37位だか何だかに入ったことがある。
あれは11位以下の人には特に連絡もないらしく、僕も知り合いから聞いて初めて知った。
「おめでとう」なんて言われたりもしたが、内心ちょっとイライラしていた。
37位?めでたいか?
だいたい人が一生懸命描いた漫画に勝手に順位をつけて、それで一冊の本にして金儲けしてるというのが腹が立つ。
37位なんか全然嬉しくもなんともない。ありがたがるとでも思ったか。1位しか嬉しくない。みんなそう思って描いてるんじゃないのか。
そもそもあれ50位まで発表する意味があるのだろうか。
10位ぐらいまでを勝手に発表すればいいじゃないか。
その他の賞も全て大嫌いだ。
大体ああいうので1位になったところで作品の旬が勝手に設定されて、その次の年が心配になるじゃないか。
去年の1位を誰も覚えてないだろ。勝手に作品を古くするようなマネをするんじゃない。
この先エントリーされることがあっても辞退してやるからな。
覚悟しろ!!!

………
少し熱くなってしまったが、今一度落ち着こう。
冒頭に自分で書いたではないか。

「それ(SNSの世界)は世界のほんの片隅の価値観なのに、それで「おれは人気者だ」と思ってしまった人が世に出たときに、フォロワーの外の基準の審査に腹を立てるのではないだろうか。」

先日も自分で書いたじゃないか。

「すぐにキレたり、大声を出したり、暴れたり、
「何様だよ」って誰もツッコめないくらい偉そうだったり、
とにかく変なおじさんになりたくない。」


おれは変なおじさんになりたくない。
まだ間に合うはずだ。



yaretakamo03_21.jpg

先日ひょんなご縁があり、マンガではなくいわゆる文字モノの本を作っている編集者にお会いした。
色々話したんだけど、なんとその方が元々このブログの読者で、僕に会うにあたって「ブログの日記を全部読み直してきた」と言い出したのにはびっくりした。
このブログは確か2009年と2010年とかから不定期で更新していて、正直昔の記事は自分でも恥ずかしくて読み返したくない。
消したいところだけど、つまんなくて誰も読まないだろうから、あってもなくても一緒かということで残している。
それを全部読んできたと言っていたので、顔からバックドラフトが起こるくらい恥ずかしかった。

打ち合わせの最中も
「あの、僕村上春樹が好きなんですけど…」
「はい、知ってます。ブログにも書かれてましたね。」
「あと七尾旅人さんも好きで…」
「あ、そうですよね。書かれてましたね。」
「マラソンとかたまに走るんですけど…」
「そうですよね。ブログにも書かれてて…」
と言った感じでなんでも知っているのだ。

ご本人にも直接お伝えしたが、それはそれはむちゃくちゃ気持ち悪かった。

しかしまあ会話は終始盛り上がったし、僕が村上春樹ファンということで、1979年の村上春樹デビュー当時の川本三郎との対談記事が載ってる古本を持ってきてくださっていた。
あとでコピーもメールで送ってくれて、なかなか刺激的な対談記事で久々にテンションが上がってしまった。
読み返すことができないくらいつまらないブログでも残しておいてよかったといえばよかったのかもしれない。

村上春樹のラジオは聞けていない。
七尾旅人さんの新譜はよかった。
マラソンはまた走ろうかなーと思ってるけど腰が重い。体重が増えたので物理的に。

>>次のページ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。